INTERVIEW

BENGA
UKガラージで有意義な日々を過ごすBengaの夢はDJになることだった。2人の兄(両者ともMC)に強く影響を受けるものの、CityやConfettiなど当時の主要レイブに加わるには少し若過ぎたBengaは、ターンテーブルを揃え持っていなかったにも関わらず海賊放送サウンドやレコード収集を熱心に開始する。後にすぐ、ローカルのレコードショップBig Appleに通い詰め、そこでWookieやEl-B、Mentaの様なパイオニア達と接するありとあらゆるチャンスを獲得。彼が若干13歳の時、その元気ではつらつとした彼のDJ選曲とスキルに目をつけたショップオーナーのジョンは、まず週3枚のレコードにて彼のスポンサーとなった。

自身のダブプレートが欲しくなるのにそう時間はかからず、そのうち同期の多くがPlaystationから彼の最初のリディム達を抜き出し始める。結果はなんともお粗末なものだったが、アイディアは確約されていた。Big Apple陣営からのサポートはかなり強力的なもので、600ポンドの前払いでようやくまともなPCを購入したBengaは、それ以来2ステップ・ガラージの次世代的存在としてMixmag等にも取り上げられることとなる。彼が16歳の時のことである。

"Mammoth"のオリジナル、Skreamとの発展途中のコラボ、多大な時間を費やした"The Judgement"等を含む約1,000曲を紛失した悲劇的なアクシデント"The Great Benga Hard-Drive Crash of 2002"が起こるまではBengaの未来は明るかった。が、意外と諦めが早かった彼は、その悲劇を結局は自身の曲を再度査定し直すスペースへと切り替えた。機材も更にプロフェッショナルにセットアップし、全ては高品質なトラックとなって再浮上させられたのである。そうしている間に"Zombie Jig"や"Electro Music"や"World War 7"の様なトラックはBengaの才能の宝庫の兆しとなり露わになる。音楽に時間を費やす時間が多くなり、彼自身周りから置き去りにされているであろう事実に動揺は隠せなかったが、女の子と出掛けても友達と遊んでも、家に居ようが居まいが1人の時間は常にコンピューターと共にクオリティなものになった。努力は報われたのである。

ニュースクールに突入。"Flames"と"Evolution"から見てもわかる様に、Bengaサウンドはうねるビートと巨大なベース走と共に高いオクタン・リディムがたくさん詰まったものがベースとなっている。彼のプロダクションに存在する今日までのやんちゃさとわんぱくさのセンスはそのままに、自身の中にいつも見つけようとしてきた情感をついに手に入れることが出来た。Tempaでのデビュー作/12インチの"Crunked Up"も例外ではない。

グリッチーなロールスネアで満たし、ラフを好きな様ににエレクトロリフにフューチャー。これはある意味21世紀の賛成論派に値する重大な出来事であり、ダブステップのダンスフロア性質に彼のトラック以上の見解は必要でないことを教えてくれる。2007年後半のアルバムリリースは、ターンテーブルの向こうで体を揺らす、FWD>>やDMZの観衆の中によく見る様な人物を想像させながらも、かなりモBengaモの年をセットしそうな勢いだ。

www.myspace.com/bengabeats
interview from: http://www.garagepressure.com/interview/Benga.htm
translation: myoume